| 材料(資材)と出会う |
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| これがあるから庭を造ろう。これを使って庭を考える。これがおさまって庭になった。これってなんだ・・・・・。 |
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| 樹や石なのか、それとも大自然の景色なのか、いやいや先人の魂の造形物なのか。見える物であればまだ理解しやすいが、見えない物になると大変である。これは別の機会に書くことにする。 |
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| さて、造園の材料を見る力はまず自分で買うことである。手元に置いて味わえばよい。力が蓄えられると見えるものが違ってくる。そうなるとしめたもので、一つの材料から庭空間が湧き上がってくるのである。 |
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| なかなかその様な材料に出会える機会がない。すばらしい材料と出会えるチャンスをつくってくれるのは人間関係で、人が出会わせてくれるからである。 |
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| 材料(資材)に生気を感じない物は寂しい、材料の組み合わせでそれぞれが主張しすぎると毒々しい、なかなか個々のバランスは難しいものである。 |
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| 迷ったときは奥の手を使う、それは自分の愛蔵品を持ち出すことかな。 |
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| よい材料は手を加えない、下手な手を入れるとだいなしだ。そこそこの材料は組み合わせて使い、斬れる職人の手を借りて生かしてやればよい。いらない物は早く除けた方がよい、そこにあると使いすぎてしまう。だから庭がややっこしくなる。 |
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| 素晴らしい造形の庭には必ず何かある。逸品の材料かな、緊張感の走る構成かな、見え隠れする幽玄の世界かな。 |
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| いずれにしても毎日の努力しかないようである。「目が覚めたら庭がひらめいた」と言う人は幸せ者だ。 |